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投稿日:2015年1月26日

カルチャバトンの会vol.6ゲスト:波戸場承龍氏インタビュー

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2月13日(金)に開催される「カルチャバトンの会vol.6」は、紋章上繪師の波戸場承龍氏をお迎えします。
紋章上繪師という仕事について、そして未登録のものまで含めると約5万種類あるといわれる家紋について伺う予定です。開催を前に波戸場承龍氏と息子さんの耀次氏にお話を伺いました。



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(プロフィール)
波戸場 承龍(はとば・しょうりゅう)/株式会社京源代表、紋章上繪師三代
家紋を専門に墨と筆で描く職人として技術を継承し、その技術を駆使した家紋作品を数多く制作。国内外で個展や展覧会を開催する一方で、「デザインとしての家紋」をコンセプトに企業のロゴデザインや個人の家紋を新たにデザイン。また和文化のイベントなどの講師として参加するなど活動は多岐に渡る。


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――まず「紋章上繪師」という仕事について教えてください。

紋章上繪師は、家紋を専門に描くことが仕事です。結婚式で着る袴や留め袖などに、昔からの墨と筆で描く手法で、着物を新調する時にオーダーを受け、紋入れをしています。


――以前はすべて手書きで紋入れをしていたのですね。

そうです。着物に入れる家紋はすべて手書きで、1日に80~100反という相当な数をこなしていました。しかし、昭和40年にシルクスクリーンという印刷技術ができたために、そこから手書き紋と印刷紋に二分化するようになりました。手書き紋と印刷紋の金額をしっかりと分けて仕事をしていればよかったのですが、ずっと同じ金額でやっていたんです。結果、効率的な印刷紋が主流になってしまいました。


――つまり紋章上繪師が減っているということでしょうか。

今は海外で仕立てと紋入れをした着物が日本に入ってくる時代ですし、着物を着る人自体が少なくなっているので、紋章上繪師の仕事はさらに減っていますね。現在、加工の仕事として依頼される内容は、見本をもらって、清書してから、紋をいれるという印刷ではできないものしか残っていないです。おそらく1日に1~2反くらい。着物に付随する仕事自体がなくなってきているので、これが後継者不足の要因にもなっていると思います。同業者も減る一方です。組合などに入っていないので正確にはわかりませんが、東京都内で30人ぐらいだと思います。兄弟弟子が何人かいますが、生活のために始めた副業が本業になってしまった者もいて、紋章上繪師として生計を立てるのは本当に難しい状況です。


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息子さんの波戸場耀次氏。紋章上繪師四代目。


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――家紋は現在、登録されているものだけで約2万種類あるそうですね。

諸説ありますが、私は最低でも5万種類くらいあると思います。1000年の歴史があるので、時間の経過の中で無駄なものはそぎ落とされ、今残っているものはデザインとして洗練された家紋ばかりでしょう。家紋はもともと、大陸からいろいろな文化が日本に運ばれた時に一緒に伝わったと言われています。中国の役人が着ていた装束に有職紋(ゆうそくもん)として入っていたのですが、公家がこぞって自分の好きな紋を入れるようになりました。それが代々、踏襲されることで家とのつながりが強くなり、家紋として成り立っていったのです。日本では藤原氏から近衛家、九条家と分かれて行く過程で、自分が住んでいるところが苗字になり、着ていた装束の紋がその家の紋となることで広がっていきました。それらの紋は、その当時の紋章上繪師がデザインしたんですよ。本来、紋章上繪師はデザイナーでもあり加工職人でもあったのです。


――波戸場さんはデザインのお仕事にも積極的です。

私も4年前までは日本橋で紋章上繪師として働いていたので加工が中心でした。しかし4年前に稲荷町の工房に移り、ここ1、2年でデザインの仕事が増えました。デザイナー兼加工職人という紋章上繪師本来の仕事内容に戻っているのだと思います。できる人がいないというわけではないのですが、職人の高齢化もありデザインまでできる人は少なくなっていると思います。しかし、ここに紋章上繪師としての新たな活動のヒントがあると思っています。


――最近の主なデザインの仕事を教えてください。

最初は家紋を額装した作品をつくることからスタートしましたが、大きな転機は「COREDO室町1,2,3」の入り口に掛けられた大暖簾に紋を描いたことです。これがきっかけとなり、デザインとしての家紋を意識するようになり、「kamon×komon」、「MON-MANDALA」というグラフィック作品なども手掛けるようになりました。Illustrator(グラフィックソフト)を使うようになり、家紋の2次加工がしやすいというメリットが得られたことが大きな進歩です。家具や小物に家紋を落とし込むこともできるようになりました。

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――新しい試みとして、紋切形を広める活動もされています。

家紋との接点が持ちにくい今、なんとか紋に触れてもらいたいと考えていた時に、昔の遊びとしての紋切形で何かできないかと思い至りました。紋切形は江戸時代に生まれた遊びなんです。その遊びが当時の女の子のたしなみとして、学校の授業でも教えられていました。昔は障子に穴が開くと、桜の模様に切り抜いた紙で穴を塞いだりしていたので実用的な遊びだったんです。カルチャバトンではこの紋切形を体験していただきますが、私の長男であり四代目である耀次と一緒に新しい試みにどんどん挑戦していき、紋をいろいろなものに落とし込んでいきたい。紋章上繪師としての可能性をより広げていきたいと思っています。

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インタビューでは東條家の家紋についての話しも。東條家の家紋は撫子紋を裏返した裏撫子のデザイン。本来の撫子は、白黒反転した紋だが、條家の家紋は撫子紋が白黒反転しているため、地抜きという家紋の種類で、岐阜の墓から拓本をとったものとのこと。撫子紋のルーツは、長野、石川、岐阜、兵庫、京都に、撫子紋が使われている方が多いことから、東條家のルーツが岐阜にあるかもしれないということがわかりました。

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次回のカルチャバトンは、ゲストに波戸場承龍氏を迎え、江戸時代の紙切り遊び「紋切形」のワークショップを参加者の皆様とともに行ないながら、家紋への理解を深めていきます。

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テーマ:「家紋のルーツと日本人のアイデンティティ」
日時: 平成27年2月13日(金)18時45受付/19時00分開始 
会場: ICPA会員2,000円/一般3,000円
会費: 渋谷文化総合センター大和田
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詳細はこちらから。


インタビューにご協力いただきました、波戸場承龍さん、耀次さん、ありがとうございました。

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